2024-06-26

理不尽を解消するため、原告に【同性婚裁判】

プロフィール

左/小野春さん(50代、P、イラストレーター、東京都出身、にじいろかぞく共同代表)

右/西川麻実さん(50代、Q、教育関係、神奈川県出身)

2004年頃~同居(2024年現在、約20年目)

東京都世田谷区

パートナーシップ制度 あり(2015年世田谷区・2023年ファミリーシップ制度、東京都
公正証書:なし 緊急連絡先カード:あり(QWRC

WHY? ~なぜそれをしようと思ったのですか?~

小野 原告になった理由は、私はすごくはっきりしてて、ひとつは子育てをしていていろいろ不便が多すぎた。もうひとつは、直前にがんになったこと。もう、あんなに理不尽だとは思ってなかった。告知の前に「家族が来てください」って言われて、その場で聞き返すこともできず、1カ月ぐらい、えー、誰呼ぶの、こんな苦しい検査をしながらなんでそんなこと悩まなきゃいけないの?ってすごいイライラした。人が「お前は家族だ」とか「家族じゃない」とかって言うのよ。ずっと一緒に暮らしてきた歴史とかを全部踏みにじって、周りからジャッジされる。そんな失礼なことないでしょ? さらに、A病院だったらこうだけど、B病院だったらこうって、場所によって定義が違う。ヘテロセクシュアルとして結婚していたという体験があったから、その理不尽さがより強く感じられたんだと思う。最初っから同性愛者として生きてきて、そういうことを当たり前、仕方がないと受け止めてる人と、自分が大きく違う点はそこだと思ってて。自分がバイセクシュアルだっていうことで、このL業界においてすごい肩身が狭かったのもあったんです。「男と結婚したんでしょ」とか「男と産んだ子どもでしょ」とか言われるわけですよ。今はもう表向きはそういうことが言える空気ではないけど、2000年代初めにコミュニティデビューした当時はそんなこと言う人なんて山ほどいたし、今でも時々感じることがあります。

西川 2010年に結婚式を挙げた時、結婚できないのはやっぱりおかしいと改めて思い、式の後、春ちゃんに「いつか裁判やろうね」と言った気がする。

小野 あっちゃんが前々から「子どもが高校生になったらね」とか言ってるのは聞いてたけど、正直、裁判なんて冗談じゃないと思ってました。結婚式が終わってラブラブな気分でいたのに、いきなり「いつか裁判やろうね」ってニコニコしながら言われて、ドン引きしたのを覚えています(笑)。

西川 結婚式をきっかけに、いろんな人と知り合いました。gossip(表参道にあったゲイカルチャーカフェ)でやっていたイベント「LGBTも結婚式したい」などを通じて、当時はパートナーシップ制度と同性婚とどっちがいいんだ?という議論が盛んな時期だったんだけど、私はやっぱり法的に同性婚を求めていこうという気持ちが固まった。2012年にオバマさんがアメリカ大統領として初めて同性愛者について公式に言及して、その頃から同性愛の話題がカルチャーではなく、社会制度などの話としてメディアが扱うようになってきた。時代が変わってきたのを肌で感じました。

小野 私は、2013年、アメリカでまさに同性婚が可決されようという時に、その最中のアメリカを視察するという、それはもう、価値観がガラリと変わるようなことがありました。

西川 2014年にレズビアン&ゲイ映画祭で「The Case Against 8(ジェンダー・マリアージュ)」を観て、同性婚を実現させるには裁判を起こした方がいいと確信しました。ひょんなことから、「父になりたい」裁判の原告さんと話す機会を得たり、その弁護団と知り合う機会があったりもしました。

HOW? ~どのようにしましたか?~

西川 東京都知事選のときに「同性同士のパートナーシップについて言及して欲しい」という署名を渡したり、法律の作り方に関する勉強会を開いたり。そのとき、世田谷区議会議員の上川あやさんから、70年台から年に何百っていう件数の性別変更申立の裁判が起こって、性同一性障害者の特例法の成立につながっていったという経緯を聞くことができた。でも、同性愛者が何か権利を求めて起こした裁判というのは「府中青年の家」裁判ぐらいしかない。この時期、あやさんはあちこちで「裁判ってひとりででも起こせるでしょ、同性愛者はグループを作ることには熱心だけどひとりでもできることをしてない」という話をしていたと思うんだけど、この一言はいろんな人の心に刺さって、山下敏雅弁護士たちが東京弁護士会に「同性婚の法制定を求める人権救済申立」をしたり、自治体パートナーシップ登録制度もそんなふうに始まった。東小雪ちゃんと増原裕子ちゃんが渋谷区で動いたり、山本そよかちゃん(「東京都にパートナーシップ制度を求める会」代表として東京都のパートナーシップ制度設立に携わった)とも、この頃知り合いました。自分だけじゃないんだって思うと、自分だけでも動くことができるようになる。人と思いをシェアすることが本当に大事だと思いました。

もともと2001年にオランダで同性婚が初めて成立して、どういう経緯でそんなミラクルが起こったのか調べました。すると「最高裁判決で」みたいな言葉に行き当たるので、裁判が必要なのかな、と思っていました。そして、ちょうど下の子どもが高校生になった後に、弁護士さんから、「結婚の自由をすべての人に」裁判をやろうという話が浮上しているのだが原告になることに興味はありますか?という話をもらったんです。これは、もう、ぜひ、やらせてもらうしかないでしょう! そして、2019年2月14日に提訴となったわけです。

小野 子どもや親、きょうだいに、思いのたけをLINEでつづり、原告になる覚悟を知らせました。

西川 子どもたちからは「了解」「りょ」みたいな、シンプルな返事がきたよね。私は、親や妹には言わずにいました。父はもともと国家権力と闘うことには否定的で、活動については「心配です」ばかりなので、いつも事後報告にしています。

SO WHAT? ~やってみてどうでしたか?~

西川 妹の夫が新聞で「お姉ちゃんじゃん」と見つけて、そこで親族みんなの知ることとなりました。妹夫婦はめっちゃ応援してくれています。

小野 これは、後から感じたことなんだけど、私は若い頃には自分のセクシャリティにぜんぜん向き合えないまま過ごして結婚して子どもを持ったわけですが、コミュニティに入ってからそれが恥ずかしいことみたいな気がしていました。でも、結婚していたという体験が、訴訟で生かされる瞬間があったんです。結婚の明確なイメージがある、というか。思いがけない形で自分のこれまでにも意味があったのかもと思える瞬間があって、そういう意味でも原告をやってよかったと思った。これからもがんばって、最高裁まで行くよ! みんなで勝ち取る。訴訟について、コミュニティの先輩たちがすごい支えてくれたんだよね。訴状を書いてくれたり、応援チームに参加してくださったり。だから、自分もそういうふうな人間でありたいな、と。仮に自分たちが負けて終わったとしても、その次の若い世代の人たちを応援し続けようって思うようになりました。次も次も次も次も勝つまでやり続ける、勝つまで絶対にやると思ってる。

text by Mami Hagiwara / photo by Emi Yasuda / interviewed by みらいふ編集部
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