【せくたん】母の死をきっかけに自分らしく生きることを決意。LGBTQ+フレンドリーな国を訪れて広がった世界
同性を好きになってはいけないと思っていたーー。
もともと同性が好きだったものの、自身を受け入れることが難しかったという雨谷里奈さん。19歳で直面した母の死をきっかけに、自分らしく生きることを求めて海外へ一人旅に出かけ、世界が広がったといいます。
それから徐々にコミュニティを拡大し、パートナーを親に紹介するまでに。現在は「自分のように悩んでいる人たちの助けになりたい」との想いから、レズビアンを公表するディレクター、フォトグラファー、ライターとして多岐にわたって活動しています。約20年間の葛藤と現在に至るまでの半生を伺いました。
プロフィール
雨谷里奈さん(33歳、編集・ディレクター・会社経営、東京都出身)
住まい 福岡県
どんな幼少期を過ごしていましたか?
小学生の時、男の子たちと一緒にサッカーをしていたので、性別の概念はあまりなかったと思います。しかし、高学年になると母親から「女の子らしく」といった圧力があり、幼いながらに「自分らしさってなんだろう?」と感じるようになりました。その時、特に反発はしませんでしたが、世間からどう見られるかという感覚は、その時に植え付けられたように感じています。
同性を好きになったのはいつからですか?
中学生の頃、同級生の女の子から好意を寄せられたことがきっかけで、自分も女性を好きになれるのだと気づきました。始まりはトイレで「髪の毛サラサラだね」とナンパされたこと(笑)。
中1から高2まで一途に彼女を想っていましたが、当時のドラマ『ラスト・フレンズ』の描写などの影響で、自分の恋心を「いけないもの」として否定し、肯定できずにいました。
「レズビアン」という言葉は知っていたけど、自分がそうだと受け入れたくなかったのですか?
そうですね。女性が好きな状況から脱する方法は”男の人を好きになること”だと思い、異性と付き合って偽りの自分を演じていました。ですが、好きになろうと思っても好きになれなくて。すぐに別れるという循環が続いていました。本当にその人を愛せなかったんです。
いつレズビアンであることを確信しましたか?
大学生の頃、アルバイト先の同性の先輩を好きになり、それがきっかけで自分がレズビアンであることを確信しました。しかし、社会人になってそれをオープンにできませんでした。
合コンに毎週呼ばれたり、仕事中にもかかわらず隣の席の先輩に「彼氏できるといいね」といじられることがあって。誰かに恋愛相談したい時期だったのですが、「ああ、この人にも言えないな」と感じることばかり……。その結果、海外とか「外」に飛び出すことしか思いつかなかったんです。
クローゼットな状態で過ごす中で、気持ちに変化はありましたか?
19歳で母を亡くしたことが、自分をリセットするきっかけになりました。今まで「女の子らしくいなければならない」「男性と付き合わなければならない」と感じていましたが、死を目前にして「私には幸せになる権利がある」と強く思うようになったのです。この経験から独立心が芽生え、困ったときに頼れる人を作ることが重要だと感じました。(だから交友関係が広い)
だからこそ、20代からは腐らず、「幸せになるんだ!」と前に進むマインドを持ち続けることができたんです。
初めてコミュニティにアクセスした時のことを教えてください。
26歳の時、このままではダメだと思い、ロールモデルを見つけるためにLGBTQ+フレンドリーな街に一人旅をしました。自己肯定感を高めるきっかけが欲しかったんです。そこで特に印象的だったのはノルウェーでの出来事。ホームステイ先に子育てをしている女性カップルが遊びに来たんです。私にとって、女性と付き合うことすら難しいと感じていたので、同じ地球上にはセクシュアリティをオープンにして幸せに生きていける場所があることに驚きました。しかし、そこでも怖さが勝ってしまい、現地の方にカミングアウトすることはできませんでした。
国内でいうとLGBTQ+フレンドリーな場所として新宿二丁目が挙げられますが、そこにも行ったことはありましたか?
28歳の時、会社の先輩と飲んでいるうちに二丁目の「GOLD FINGER」というビアンバーに行こうとなり、先輩に連れて行ってもらいました。そこで初めて日本でレズビアンの子と出会い、海外でロールモデルを探している最中だったので、嬉しく感じました。私は相手がレズビアンだと分かってもまだ怖くて、セクシュアリティを聞かれた際には嘘をついてしまいました…。それでも、この絶好のチャンスを逃したくなくて、お互いのSNSを交換し、後日会うことになりました。
日本で初めて当事者の友達ができたんですね。
そうなんです!その子とまた会ったときに「あのときは職場の先輩がいたから言えなかったんだけど、私もレズビアン」と正直に話しました。それから当事者のお友達を紹介してくれて、29歳で人生初の彼女ができました。
その彼女はレズビアンであることを親にも職場にも言っていて、私には胸を張って生きているように映りました。私ができないことをそつなくこなす彼女は、アイコン的存在でした。
彼女の姿を見てカミングアウトを試みたことも?
彼女と付き合ってからだいぶ変わったと思います。彼女の存在をSNS上にも載せるようになり、周りが(良くも悪くも)コミュニケーションに配慮してくれることもあり、少なくとも「彼氏できた?」とイジられ口調で聞かれることはなくなりました。「私はレズビアンです」と宣言しなくても、カミングアウトできる環境がつくれたのは良かったです。
最近、お父さんにもカミングアウトしたとのことですが、詳しく教えてください。
昨年に父へカミングアウトをしました。当時付き合っていた彼女を紹介したのですが、最初は「友達に会わせたい」と濁していたため、父はあまり乗り気ではありませんでした。
そこで反射的に「パートナーだから」と伝えたことで(笑)、食事会をすることに。その席で「パートナーの意味、わかる?」と問いかけ、自然な形で交際を伝えました。食事が終わってすぐ、父から「里奈が幸せならパパも幸せだよ」とLINEが届いたのは、今思い出しても本当に嬉しかったです。
カミングアウトしたことで心境の変化はありましたか?
レズビアンとして生きて良いんだと思えました。一言で言うと、自己肯定感を高められたという感覚。とはいえ、カミングアウトすることで親との関係性が悪くなったという人も見てきたので、自分の場合はカミングアウトしてからの方が楽になったという感じです。
今ではレズビアンであることをオープンにして積極的に活動していますよね。
きっかけはLGBTQ+フレンドリーな不動産会社「IRIS」で、当時付き合っていた彼女と同棲する住まいを探していたことです。IRISで働く人たちはLGBTQ+当事者によって構成され、実際に当事者を助けていることに感銘を受けました。実際に私たちも紹介してくれた物件にすぐ決めて、「この人から契約したい」と思うほどでした。私もそういう仕事に携わりたいと思い、IRISのホームページを見ると、たまたまメディアのディレクターを募集していました。そこで、お世話になったCOOの名刺に書かれていたアドレスにメールを送って、そこからLGBTQ+関連の仕事をするようになりました。
どんな社会になってほしいですか?
自分ができなかったことの裏返しになりますが、職場とか親とか友達に相談できるくらい、LGBTQ+が当たり前の社会を願っています。やはりセクシュアリティを隠していることが、自己表現する工程をさらに難しくしていると思うので、胸を張って生きられるような社会になってほしいです。
interview&text:Honoka Yamasaki / collage:Emi Yasuda /みらいふ編集部
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