2024-04-10

【カップル】共に働き共に子育て中のまゆさん&yadiさん

プロフィール

左/青山真侑さん(51歳、 L、会社員、神奈川県出身、にじいろかぞく共同代表)

右/yadiさん(60歳、 L、会社員、東京都出身)

1998年~同居(2024年現在、26年目)

東京都

パートナーシップ制度:あり(2022年、東京都
遺言・医療についての意志表示書:あり 緊急連絡先カード:なし(双方の会社へのパートナーとしての届け出あり)

気構えがない友だちからパートナー関係に発展し、26年目のまゆさん&yadiさん。まゆさんの部屋にyadiさんがそのまま居つくような形で同居が始まり、現在はまゆさんが購入した都内マンションで、お子さんと3人暮らしをしています。

目次

【出会うまで】それぞれのコミュニティデビュー

まゆ 私は高校1年生のとき、初めて好きになった人が、女性だったんです。告白したら、なんと「今、恋人はいないので、おつきあいしますか?」というお返事で(笑)。その方はバイセクシュアルだったんです。彼女が私に『女を愛する女たちの物語』(別冊宝島/1987年刊)という本をくれたんですね。私の人生に「レズビアンとしての人生が降ってきた!」みたいな感じ。気づきと共に、生き方のロールモデルまで一緒にやってきた。すごくラッキーですよね(笑)。
その次の年、私の学校に教育実習に来た先輩が、またなんと、ビアンだったんです(笑)。私がクラスメート相手に、恋人とのデートの話を無邪気にしているところを、先輩が小耳に挟んで。「もしかして、あなたってL?」と声をかけてくれたんです。「そうです!」って(笑)。
私が大学に進むのを待って、その先輩がはじめて新宿二丁目のパーティーに連れていってくれました。さらに、そのパーティーで紹介してくれた人たちと盛り上がって、ミニコミ誌『LABRYS』の立ち上げスタッフのひとりになりました。なぜか私のビアン人生は、幸運の巡り合わせつづきなんです(笑)。

yadi 私のコミュニティとの出会いは、アカー(当時、「動くゲイとレズビアンの会」として活動していた団体)のオープンミーティングに参加したのが最初でした。当時私は、まだ結婚していて主婦だったんです。でも、本気で女性のことを好きになってしまい、だれかに相談をしたくても、できる場所もまったくなく。そのころ、アカーがゲイリブ団体としてテレビに出ていて、電話相談をやってるっていうのを見て、かけてみたんです。それで、「もし都内でミーティングをやってるんだったら、行ってもいいですか?」って。そのとき好きだった方には告白して振られてしまったんですが、彼女への恋愛を自覚したのをきっかけに、離婚して、Lとしての人生を歩むことになりました。

【出会い】インターネットが流行り始めた時代

まゆ 1998年、私が26歳のころ、インターネットが普及し始めて、オンラインでいろんな人とつながれるようになってきました。私は仕事のために、早くから自分のパソコンを持っていて。そしたら、さっきも話に出た先輩が「レズビアンとバイセクシュアル女性のためのBBS(オンライン掲示板)を始めたよ」ってお知らせしてくれたんです。

yadi 私も別の人からそのBBSを教えてもらって、参加しました。

まゆ 先輩は社交的な人なので、すぐにBBSの参加メンバーで集まるオフ会を企画してくれたんです。初回から12人くらいは集まったのかな?

yadi BBSの趣旨としては「新宿二丁目じゃないところで、自立した大人のビアンたちが、じっくり話ができる場所」っていうというコンセプトだったような。

まゆ そうだよね。真面目な話もするし、くだらない話もする。映画とか本とかを紹介しあったり。もちろん恋愛相談もね。

yadi それまでは、自分以外のセクシュアルマイノリティと知り合いたくても、雑誌の通信欄を介した手紙交換とか、あとは二丁目のお店に行くくらいしかほかの人とつながることができなかったから。「集まれる」っていううれしさがすごかった。

まゆ 私たちは、その最初のオフ会で意気投合して。別れがたくて2次会、そして明け方まで続いた3次会の間も、ふたりでずーっと話し込んでたことを記憶してます。

【恋人になったきっかけ】マブダチから恋人に

yadi それから、仕事終わったあとに、どちらからともなく「空いてる?」って声をかけあって、ごはんを食べに行く仲になったんですよ。家が近いわけでもなかったのに、週に2~3回は会ってた。食の趣味が合ったし、呑めるお酒の量も近かったし。何より話していてどんなことでも、すごくおもしろかった。

まゆ あるとき、なぜかすごく盛り上がって呑みすぎちゃって。yadiの終電がなくなったから、ふたりでカラオケに行って。お互い歌が好きなもんだから、競うように本気モードでラブソングとかを歌っているうちに、なんだか盛り上がっちゃって。……べろべろで私の部屋に来たら……なんとなく流れで、そーいうことに(笑)。でも、当時、私には遠距離恋愛中の恋人がいて。微妙に終わりかけているけど、きっかけがないというような感じだったの。

yadi 私も実はそのとき、片思い中の相手がいたんです。

まゆ さっきまでほかの女への恋バナを聞かされてたのに、何を間違ってこんなことになったんだ!?って(笑)。でも、「人生、ノリでそーいうこともあるヨネ~」って……なぜかその日の夜も、一緒にご飯食べたの(笑)。なんていうか「いろんなことがめちゃめちゃ合う友だち」って感覚でした。

そのうちに、yadiが私の家にちょくちょく泊まっていくようになって。なんだかんだあって「もはや我々は つきあっているのではないか……?」って、私から言いました。電撃のような恋に落ちたっていうのではないけど、友情?愛情?気持ちの熱量があった。共に暮らす相手として、yadiを超える人が現れていないから、25年以上も一緒にいるんじゃないかと。いろんな意味で替えがきかない存在です。

yadi 一緒にいると話題がつきないのは、今でも変わらないかな。私は、「恋人」と「パートナー」の違いって、「生活を共にしてるかどうか」だと思っているんですよ。恋人同士でデートするのは、ある意味、非日常。パートナーっていうのは日常、生活を共有する相手なんじゃないかなって。

【同居】猫のようにそのまま居ついた

まゆ この人、私の部屋に、段ボール1個で引っ越してきたんですよ。イメージは、野良猫をうっかり家に入れたら、そのまま居ついちゃったみたいな(笑)。物欲とかあまりなくて、今でも彼女の個人的なものはとても少ないです。場所をとってるのは本くらいかな。

yadi 私は実家住まいだったし、家に帰った日も、毎晩電話して、明け方まで寝ないでしゃべってて。もうこれは一緒に住んじゃったほうがいいんじゃね、みたいな感じで始まりましたね。

まゆ 私はそれまで独り暮らしだったんだけど、当時はミニコミ誌の編集をやってたから、作業部屋を兼ねて、なぜか2LDKに住んでいたんだよね。

yadi だから広さはまったく大丈夫だった。一応、次の更新のときに、大家さんに「ふたりで住みます」と言って契約させてもらいました。

まゆ 人と一緒に暮らすのは初めてだったけど、yadiはぜんぜん違和感がなかった。というか、私は人生がかなり楽になりました。毎日話ができる人がいて、情緒のバランスもとりやすくなったし、仕事に集中できて、成果も上がるようになって。

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